台湾パイワン民族の婚約式に参加しました
溝上小百合
1967年生まれ、福岡県出身。趣味は滞在型海外旅行、カラオケ、酒宴参加、そっくりマグネット、消しゴム収集、台湾原住民と戯れること。性格は明るく元気で騒がしい(とよく言われる)。
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高雄から中距離バスに乗ること約2時間、台湾南部の車城にて下車。泉質の良さでも有名な四重渓温泉のある199号線を更に車で山に向かって走らせること約40分、山深い東源村に突然お伽話にでてくるような空間が広がる。
そこは私が婚約式に参加させていただいたパイワン民族の一家が経営する「恒春半島原住民手工藝文物館」と「凡伊斯(バイス)山野菜館」である。大黒柱は石門教会の牧師であるパイワン民族名、佐諾克嘉白(ソノックチャパイ)さんである。
9月9日にその佐諾克さんの長女である凡伊斯(バイス)さんが婚約するというので、祝福する気持とパイワン民族の伝統的な訂婚(婚約)儀礼を見たいという完全なる下心から、婚約式に参加させていただいた。
金曜日の授業が午後5時に終わって(私は現在国立中山大学に留学中です)すぐ、バスで高雄の駅に出て、それから長い長い旅が始まった。週末ということと 12日の中秋節を目前に控えていたためかバスは満員である。効きすぎた冷房に身を震わせること2時間。更に車で迎えに来てもらい、現地に到着したのは夜の 10時を過ぎていた。
「恒春半島原住民手工藝文物館」が家族の住居である。ここでは佐諾克さんの祖先が残したパイワン民族の工芸品や生活用品を説明付きで展示している。更に伝統的な要素のなかに、現代的な用途とデザインを盛り込んだバッグや小物の販売も行っている。それらは全て家族の手作りである。私はそんな展示品に囲まれての就寝。なんだか幸せな、かつ贅沢な気分である。
約式当日の朝、準備で長男(新婦のお兄さん)は一睡もしていなという。みてみればレストランの入り口に緑の幕が張られ、その上に発泡スチロールで作られた新郎新婦の名前が綺麗に配され、山の草花をいろいろデコレーションして見事なバッグステージが出来上がっていた。天井からは粟の実が横にずらりと垂れ下げられている。パイワン民族は皆天性の芸術家だと、私は思う。夢と芸術がドッキングしているというか、夢で終わらせないパワーと才能を備えている。
婚約式の開始は午前10時と聞いていたが、定刻になっても準備中の状況である。近所の親類や、新郎の親戚 (ルカイ民族で霧台村在住)が伝統的な衣装をまとってぞくぞくと集まってきた。その光景はまさに壮観である。
手持ちぶさたな時にビンロウは欠かせない。女性は結婚したら人前で食べることを許されるようだ。新娘(新婦のこと)は式の間ビンロウを食べることが出来ない。参加者は皆ビンロウ(木の実の一種)をムシャムシャ食べている、と言うより噛んでいる。最初の汁は身体に毒なので吐き出す。その次からは吐いても飲んでもよし。ビンロウはパイワン民族にとって欠かせない大切な嗜好品である。
「小百合(シャオバイフー)、こっちに来て着替えて」とママさん(パイワン名は本那Bennaさん)が呼ぶので行ってみると、なんとママさんのお母さんがママさんの結婚式の時、まだ電気もない時代に手刺繍で作った衣装だという。サイズはなんとピッタリである。最近のよりもっと細かい見事な刺繍である。こんなのを着たら罰があたりそう、と思いつつ喜びいさんで着てみる。帽子も必需品とあって、いろいろ被せてもらうが、私の頭が大きすぎてなかなか合うものがない。しまいにはむりやり押し込まれた!ふふふ、これで誰も私が日本人だとは分かるまい、とほくそ笑みながら式に参加。じっと座っていられない。動き回って写真を撮りまくる。かくしてどうみても観光客。
先にも述べたが、新郎は霧台のルカイ民族で、ママさんの話だと3ヶ月前、家族で山の菜館に食事に来たときに新郎がバイスに一目惚れして婚約の運びとなったらしい。屏東で歯科医をしている34歳。優しそうな人である。日本の結納品にあたるものを聞いてみたところ、新郎から新婦にお金(30万元位、日本円にして約100万円)、山のブタ1頭、ビンロウ、パイワン民族の食べ物(ルカイにも共通 である)である阿凡伊(アバイ、お餅)、吉納富(チナブ、里芋をつぶしたもの)、禮盒(紙箱に入った婚礼の品を指す。この時はクッキーの箱詰めだった)、餅(名前がはっきりしないが、原住民族の食品。形は細長く中に砕いた甘い豆などが入っていて味は甘い。細長いのはパイワン民族の象徴である百歩蛇の形を似せているからだそうだ)、喜品(シーピン、小さめのお菓子の箱詰め)等が、用意されるという。ブタと阿凡伊、吉納富、禮盒、餅は新婦側の第一代(新婦の父母、祖父母、父母の兄弟姉妹を指す)に均等に分けられる。ビンロウは食事の席で卓ごとに配られ(基本的に一人一つ)、喜品は婚約式に参列したひと、及び友人、近隣の人々に配られる。
10時には佐諾克さん一家も正装に着替え、バイスも準備完了していた。友達に化粧をしてもらって豪華絢爛な衣装を着て、一際目立っている。定刻に始まる訳はないと思っていたが、10時半くらいになってようやくキーボード伴奏による現代的なリズムに乗って若者たちが歌い出した。教会の歌のようだ。歌詞は国語である。サウルの作った婚約式のパンフレットには国語の歌詞の下にパイワン語の歌詞も載っている。しかし今日の式中では全て国語で歌われた。
100人を越える両家の親族で佐諾克さんの自慢の庭は埋め尽くされた。とりどりの民族衣装で参加している。この炎天下でもほとんどの人は帽子を欠かさない。中には草を編んで帽子にしている人もいる。これはちょっと涼しいのだそうだ。器用に野の草を編んでいて、美的感覚と機能性を兼ね揃えている。
歌が終わると牧師さんが宣訓を唱え、続いて聖詩を参加者全員で歌う。そして祈祷。パイワン民族の伝統的な婚約式といいつつ内容は殆どキリスト教色色濃いものとなっている。新婦の家族が敬虔なキリスト教徒でお父さんは牧師だから、これは頷ける。新郎の家族もやはりキリスト教徒なのだろうか。原住民族の殆どがキリスト教徒という現実を考えるときっとそうであろうと勝手に納得。婚約人の指輪の交換がなされる。これは婚約指輪で結婚式の時にも結婚指輪を交換するらしい。日本と同じで2つ用意しなければいけないのだが、バイスは一つで済ませると言っていた(ママさんには内緒らしい)。
最後の祝辞は森牧師。感情のこもった祝辞だった。国語で熱弁をふるっていたので聞き取った結果、つまり結婚には「愛が一番大切なのだ!」と強調しておられたようだ。私もそう思う。最近どうも足りていない、と思う。正午頃には感動的な婚約式も終了し、参加者もまたビンロウを食べたりお茶を飲んだりしてくつろぐ。そんなひととき、家のなかでは両家の第一代親戚が集まって結婚式の日取りを決めていた。神妙な雰囲気である。なかなか決まらないらしい。どうしたものか、決定は次回再度集まってということになった。
そうこうしているうちに外で食事の用意が整ったようである。私は佐諾克さんのお姉さんの隣りに座る。そのうち長男や弟が来た。食事は目を見張るくらい次から次へと運ばれてくる。なんという食事の量 だろうか。きっとおめでたい席では必要以上にごちそうを用意するのが礼儀なのだろう。残った物は持って帰るのだそうだ。丈夫そうな大きなビニール袋が運ばれて来た。どんどんスープだろうが何だろうがビニールに詰め込んでいる。みんなで山分けの精神らしい。
食事はレストランごと出前といったシステムで、準備から片づけまで全てやってくれる。しかし原住民といえども食事の賑やかさは漢民族のそれと全く一緒で、食後のテーブルの賑やかさと汚れ方も並みではない。すっかり料理の量 に圧倒されて食欲がそがれてしまった私は何だか、疲れ果てていた。食事が終わると三々五々親戚 は帰宅し、新郎の親戚の大型バスが出ると、あたりはすっかり普通の状態になってしまった。衣装を脱いで徐々に片づけを始める。家族は疲れ果 てている表情の中にも無事に終わったという安堵感と幸せな表情を見せていた。父親の心境は複雑、というのも世界共通 のようだ。
10月の終わりに霧台とここで2回結婚式を挙げるらしい。新婦はビーズで埋めた尽くされた民族衣装(持ってみたが異様に重かった)を着て新郎宅で3時間踊り続けなければならないらしい。とても辛苦だと嘆いていた。昔は一週間でも踊り続けたらしいが……。しかし婚約でこんなに派手にすると、結婚式はどんなものになるのやら。噂では1000人を越える来客があるという。日本でいう芸能人並の規模である。しかし10キロくらいありそうな衣装を着て3時間踊り続ける新婦が一番心配である。