第4回  タリアン族(その1) - 雑貨店Noichi(ノイチ)の運営 | 有限会社溝上企画

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第4回  タリアン族(その1)

菅沼浩行
1998年9月から2002年6月まで、SVA(シャンティ国際ボランティア会) のラオス・ヴィエンチャン事務所で、「民話による初頭教育支援事業」というめっちゃ長い事業を担当。

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今回はタリアン族。全体としてはラオス全体の0.5%ほど(1995年)ではあるが、セコン県では21.8%(1999年)で2番目に多い少数民族。前にも書いた通り、このセコン県はいろいろな民族がいるが、このタリアン族の茅葺の家はなかなかの見もの。なんか、白川郷みたいで、こっちの方が世界遺産になっても良いのでは……と思った程である。で、その中に入ると、囲炉裏がある。これは暖にしているだけでなく、明かりにもしている。つまり、私が訪問したところは電気が通っていないところだったのだが、冬の時期に行った際には夜(?)の6時に就寝をしたこともある。まあ、起きていれば、それはそれで飲みに付き合わされるということもあるのだが……。

尚、酒といえばタバコだが(?)、タリアン族の女性でタバコを吸っていた人は見なかった。また、男女共に15歳になると耳飾や歯を平らに削って、きれいに見せる習慣もあるらしいが、私好みの美人はおらず。その代わり、サザエさんみたいなお団子頭のおばさんはよく見かけた。あと、ここでは、たまたまなのかもしれないが、ご飯はちゃぶ台に広げて、それを蓮華で食った。米は赤い太ったものであったが、おかずは俺らが客人としていたから、豚(すっげー脂だらけ)、鶏、魚とか出たが、普段は唐辛子入りの醤油とナンプラー(魚醤)。まあ、辛いもん好きな私は苦でも何でもなかったが、これが続く……となると、ちょっとねぇ……。

さて、この民族が多い地域はダクチュン郡という所は県都のラマムから、西に100kmほどの場所。初めて行ったのは99年だが、このときは、道は舗装されていないし、おまけに雨が降って6~8時間くらいかかった。まあ、雨期には難攻不落の城のような感じで、行き来ができないと言われたくらいの土地である。ところで、このダクチュン郡には「ダク」という地名が多い。これはこの民族の言葉で「水」という意味。やはり、水は生活する上で必要なものだ……と痛感。

さて、この民族の由来であるが……俺が調べた限りでは、はっきりとこの民族の由来は分からんかった。強いて言えばこのタリアンという単語はこの民族の「聞く」という意味らしく、とある人は「従順だから人の話を聞くのだ」……と言っていたくらいか。ただ、ある文献によれば、タリアンの意味は「Headhunters」つまり、首仮族と書いてあった。

どーも、この民族に限らず、差別的・否定的に見られるのは少数民族の性か?まあ、ラオスの主要民族であるラオ人もタイ人にバカにされ、そのはけ口を少数民族に向けていることもないことはないんだろうが……ただ、ここの少数民族は生贄の儀式をするんで、それが「野蛮」のイメージを付けているのかもしれない。

で、その生贄の儀式だが……それは次回に。

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