第6回 カトゥ族(その1) - 雑貨店Noichi(ノイチ)の運営 | 有限会社溝上企画

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第6回 カトゥ族(その1)

菅沼浩行
1998年9月から2002年6月まで、SVA(シャンティ国際ボランティア会) のラオス・ヴィエンチャン事務所で、「民話による初頭教育支援事業」というめっちゃ長い事業を担当。

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ここしばらく原稿書かずに、M社長からは怒られ……けど、育児に忙しくって、書く暇なかったんです。お待ちになっていた方(いたら……ですが)すいません。

で、親ばかでもないんですが、愛娘の名前は「るあん」。ラオスの世界遺産の古都であるルアンパバンから取りました。まあ、うちの北斗晶こと鬼嫁の話しによると、男だったら、羅生(ラオ)にしたかったらしい……それじゃ、まさに北斗の拳だな。

それはさておき、今回はカトゥ族についてです。

このカトゥ族は、私が活動していたセコン県の人口比率の24.3%(99年)と一番多くを占めており、国境が接しているベトナム関連の書籍にもちょこっと(?)出てくるけっこう有名な民族である。ちなみに識字率は26.2%(95年)であるが、男性が43.0%に対し、女性は10.6%と大きな差がある。まあ、これはこの民族に限ったことではないが……。

で、この民族の由来ですが、これは村ごとによって全然違っていました。まあ、所詮、素人の調査ですけど……この民族の村に外部勢力が襲い掛かってきたので、それを返り討ちにすると、それを見たラオ族がこの民族は戦争や人殺しを好み、敵という言葉の「サトゥ」が「カトゥ」になったとか、この部族が山奥から降りてきた時に貧しかったので、ふんどし(ラオ語で「カァティヤオ」)しか身に付ける物がなく、それが「カトゥ」に転じたというものもあったけど、ちょっとネガティブな説であるが、そんな中、この民族は昔、川の始まりである分水界に住んでいて、それがカトゥ語で「トゥ」と言い、それがカトゥになったという説が一番まともなような気がする。

ただ、どの村でも生活が苦しくって移転してきたとは言っていたので、そういうネガティブ的なものがあるのかな……とは思う。そーいや、カトゥ族の民謡とかあったら、歌って……と頼んだら、「怠け者の歌」を歌われたときには唖然とした。(ただし、後でこれは歌った奴の創作歌であったことが判明)

あ、あとカトゥ族の民話に「母親を忘れた猫」というものがあり、女(雌猫)好きなドラ息子(ドラ猫)に頭を悩ましている母親(母猫)が策を講じ、めかしてお祭りに行くと、案の定、息子にナンパされ、息子に「女のケツばっか追っかけていて、ダメだろ!」と諭すという内容のものがあった。どこぞの社長と似ているなぁ……と、大笑いしたが、確かになんかネガティブなものが多いなぁという印象を受けたものだ。で、今回はここまで。次は精霊信仰についてなんで、期待せずに乞うご期待。

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