トライバル・タトゥーって何?-「先住民族ドットコム」的イレズミ講座【その1】 - 雑貨店Noichi(ノイチ)の運営 | 有限会社溝上企画

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トライバル・タトゥーって何?-「先住民族ドットコム」的イレズミ講座【その1】

山本芳美
1968年生まれ。イレズミ研究で博士号をとった珍しい人。図書館司書、雑誌編集、ライターなどの仕事に手を染めた後、台湾に2年半留学する。現在は、都留文科大学比較文化学科講師(文化人類学専攻)。台湾原住民族との交流会会員でもある。

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◆はじめに

先住民族ドットコム初登場の山本芳美です。学生時代から10ン年、「イレズミの研究」と称して、東京や横浜、沖縄、台湾などをふらふら歩き続けています。これから「先住民族ドットコム」上で、私が大学において「日本文化構造論」と題して話している内容を織り交ぜながら、先住民族とイレズミについて出張講義をおこないます。日本文化構造論は、日本近代から現代の文化の特質についてイレズミを通して述べていく授業で、日本や沖縄、台湾のイレズミや世界中の身体変工(body mutilation,body deformation)に関する文化人類学的な紹介とともに、イレズミをした人々からみた日本の近代史や沖縄県史、台湾を中心にした植民地史を話しています。と書いてしまうと、硬い内容に思えるでしょうが、授業では過去100年の日本や世界のイレズミの動きとともに、これまでの旅の途中に出会った印象深い人々の話をしています。

さて、ここ10 年で都市風俗として根付いてきた若者たちのタトゥー(tattoo)を理解したいのなら、その一つのルーツ、先住民族のイレズミを知ることが大事になってきます。まずは、イレズミについて、そして現代の先住民族はどのような人々なのかを紹介していきます。そして、イレズミを通して自文化を復活させようと模索する台湾のパイワン人やニュージーランドのマオリ人の姿をおりまぜながら、現代社会のなかで若者を中心とした多くの人々を惹きつけるタトゥーと先住民族のイレズミの関わりについて述べていきます。

◆タトゥー、イレズミ、刺青、彫物、etc.

現在、世間ではタトゥー、イレズミ、刺青などの言葉があふれています。それらの言葉をどのように整理したらいいのでしょうか。私は次のように考えています。英語ではタトゥー(tattoo)は、慣習としておこなわれるものから現代的スタイルまで指す包括的な言葉です。タトゥーは、タヒチやサモアなどポリネシアで広く用いられていた言葉tatauが、英語に定着したものです。イレズミ自体は、すでにヨーロッパでも知られていましたが、英語圏の人で最も早くタトゥーという言葉を用い、タヒチ人やマオリ人のイレズミ慣習について最初に報告したのは、キャプテン・クックの航海に同行したジョゼフ・バンクスという人物です。彼らは1769年、第一回航海の際に寄航したオタヘイテ島の島民をはじめとして、さまざまな人々にイレズミの慣習があることを見いだしています。ご存知のように、18世紀のなかばには海賊や探検家たちが太平洋の海を航海するようになり、19世紀には商船が行き来するようになりました。船乗りたちは、寄航先の島で次第にイレズミを先住民族にほどこしてもらうようになり、徐々に欧米人のあいだにイレズミが浸透していきます。それから、港みなとにタトゥーショップが開かれるようになるのはすぐ後のことです。19世紀なかばには、ヨーロッパの海沿いやアメリカの東海岸、そして日本でも横浜や長崎などにタトゥーショップがあり、船乗りや兵士たちが意気揚々と土産や上陸記念にタトゥーをする姿が見られるようになります。私は普段、アメリカやヨーロッパを中心に世界的に流行している現代的なスタイルのものをタトゥーと呼んでいます。

私の場合は、イレズミを英語のタトゥーと同じく広い意味で用いています。古代に彫られていたものや先住民族のあいだでおこなわれているものまで含めて、イレズミとしています。同じ発音を漢字で「入墨」と書く場合もありますが、そちらは江戸時代に刑罰でおこなわれたものを指します。ずっとお話をうかがっている鳶のおじさんたちは、私がうっかりイレズミというと、「おいおい、よしてくれよ」と言います。「彫物(ほりもの)」と呼んで欲しいとのことです。彫物は江戸前の呼び方で、関西のほうでは「がまん」、倶利伽羅紋々(くりからもんもん)から「もんもん」と呼ぶこともあるそうです。なお、子母沢寛の『游侠奇談』(1971 桃源社)を読んでいましたら、幕末あたりでは、よい彫物を見たら「よい傷ですね」と誉めるものだったそうです。タトゥーはまだ一般に浸透していないですし、刺青は明治時代に登場した比較的新しい言葉です。明治より前には、書き言葉では文身(ぶんしん)がよく用いられたそうですが、皆さんにはなじみがないでしょう。言葉の吟味を経てくると、これから連載する先住民族の世界の一つを、私がイレズミという言葉を用いて書く理由をわかっていただけるかと思います。それでは、本編の始まりです。

◆先住民族の村はつまらない?

台湾にいたころ、日本からきた駐在員の奥さんとお昼をご一緒したことがあります。彼女は私が台湾原住民族(※1)のイレズミを研究していると聞くと、

「私、アミ族(※2)の村に行ったことがあるの。でもつまらなかった」と話し出しました。私はあるアミの村に連れて行ってもらったことがあり、そこのおばさんたちと語り合った思い出があったのでちょっと驚いて

「どうして」と問い返しました。

「だって、家族とせっかくタクシーを飛ばして行ったのに、普通の農村で何もなかったん ですもの」。

「……」。

さて、ここ10年で都市風俗として根付いてきた若者たちのタトゥー(tattoo)を理解したいのなら、その一つのルーツ、先住民族のイレズミを知ることが大事になってきます。まずは、イレズミについて、そして現代の先住民族はどのような人々なのかを紹介していきます。そして、イレズミを通して自文化を復活させようと模索する台湾のパイワン人やニュージーランドのマオリ人の姿をおりまぜながら、現代社会のなかで若者を中心とした多くの人々を惹きつけるタトゥーと先住民族のイレズミの関わりについて述べていきます。

◆「本物」から感動を得ることは難しい

彼女とご家族はアミの村に何を求めたのでしょうか。彼女の話しっぷりから私が嗅ぎ取ったのは、村の人々が「伝統的な民族衣装を着て、昔ながらの家に住み、タクシーで降りるやいなや温かい笑みを浮かべて駆けつけてくれて、歓迎の踊りを舞ってくれる」ことへの期待感でした。でも、行っただけで人や着ぐるみがニコニコ寄ってきて楽しくしてくれる場所は、テーマパークだけです。台湾にも原住民族の歴史や文化をみせるテーマパークがいくつかありますが、彼女やご家族がそちらに行かなかったのは、「本物」の感動を求めたのでしょうね。

旅にでることで、新たな刺激をもらえる。台湾原住民族の一民族タイヤルの夫婦が建てた イレズミの家。写真に写っている側は、女性のイレズミ文様で反対側は男性のもの。男と 女は協力しあうべき、との考えを表しているそう。

ある場所に行っただけでちやほやしてもらえる、感動がもらえるという考えは、まず幻想です。テレビの旅番組や雑誌の旅行特集にはコーディネーターがいて、取材場所には「何日の何時ごろ、行きますよ」と連絡を入れてくれますし、多くは通訳も兼ねて同行してくれます。テレビ番組の場合、取材や撮影に先立って企画書も用意され、脚本も演出もちゃんとあります。しかし、ドラマや小説ならしょせん作り物だと思うのに、俳優さんやタレントたちが温泉やハワイに行く場合には、多くの視聴者や読者はそうしたお膳立てがあることを知らないか、もしかしたら忘れて、自分もそれらの人々に「近い体験」ができるとなぜか信じ込んでいます。「旅番組はドラマよりは作ってないから、ドキュメンタリーみたいなものだ」というのは、あまりに素朴な見方でしょう。ドキュメンタリーにも、物事の本質を伝えるための手法として演出は存在するのですから。

本物の村に行って感動を得ることはとても難しいのです。ここに生きる人がいる、この当たり前なことに胸を躍らせる感性をもつまでには年季と知識がいります。「考えるな!感じるんだ!」 (※3)は大切なことですが、あらゆる物事に当てはめていくのは、自分の勉強不足に対する言い訳、ないしは自分が抱いているイメージを相手に押し付ける傲慢さが透けて見えます。まして、観光地に背を向けた旅においてや、です。見知らぬ 場所に行くなら、交通手段や宿泊施設の有無の下調べは必須です。地図もどうか忘れずに。ガイドブックと首引きの旅は格好悪い、と思うのなら、必要なページだけちぎって持っていけばいいのです。そうすれば荷物も軽くなります。彼女とご家族は、台湾の原住民族の歴史を少しでも調べてから行ったら、なぜ人々が普通の農村を築いているのかがよくわかったでしょうね。もちろん、帰ってから調べてもよいのです。風景を頭に想い浮かべながら本を読んだほうが、何も知らない時よりもよっぽどはかどります。

告白してしまえば、私は旅に出かけて人通りのない見知らぬ道をとぼとぼ歩いたことが何度もあります。一人旅が楽しめるようになってきたのは、ここ数年のことです。私の場合は、自分の足で歩くことで少しずつまわりの風景に慣れていき、初めての場所に来た緊張がほぐれてきた頃に、ぽつぽつと土地の人との出会いが生まれてくるようです。自分で思い切って人に働きかけなければ、何もおこらないことがしばしばなのが、素の旅なのです。一人旅をするなら、「語らいが生まれれば儲けもの」ぐらいの心構えで、まずは景色や人々の暮らしぶりのちがいを楽しむのがよいようです。そうこうするうちに友だちがひとりでもできれば、旅は一変し、行動範囲も広がるうえに安全度も高まります。

先住民族の村では、昼間は皆、畑などで働いているか、学校に行っています。若い人たちは出稼ぎに出てしまい、両親に預けた子どもの様子を見に帰ってくる週末にしか、人気がない村もあります。行事に合わせて行かなければ、村では淡々とした日常生活が繰り広げられているだけです。それは、私たちの生活も同じで、お互いさまなのです。それを承知しつつ何かを見つけ出そうと、休んでいる人に話しかけたら、たぶん楽しい体験になったでしょう。私の知るかぎり、一般的に台湾の人たちは人懐こいですし、都市を離れれば離れるほど「今、旅してます」の一言であっさりと心を開いてくれる人も多くなります。もう少し詮索したら、とこちらがあせるほどです。

◆現代を生きる仲間として

先住民族ドットコムで扱う商品をつくっている人々は、先住民族と呼ばれる、あるいは自らそう名乗っている人々です。文化人類学の教科書によれば、先住民族 (indigenous people)とは、「別の地域からやって来た異文化・異民族的起源を持つ人々が形成し、運営している国家によって支配・抑圧されている民族とその子孫」のことで、先住民族という言葉に関して繰り返し議論されているのは、現存する国家とその国家が成立する前から住んできた民族との「政治的な」関係です。同じような意味で使われてしまう言葉に、少数民族がありますが、やはりそこで問われているのも、国家と民族の政治的な関係です(※4)。念のために付け加えておきますけれども、先住者や少数者であることは言語や文化を守るうえで確かに不利でしょうが、政治的に不当で不利な立場におかれているかどうかは一概にいえません。

ところが不思議なことに、民族に先住や少数という形容詞がついてしまうと、とたんに「伝統を守って暮らしている人々」というイメージを持つ人が多いようです。論外は「遅れている野蛮な人々」ですけど、先住民族はとことん自由で素晴らしい精神世界がある、と妙に高みに持ち上げたりしてしまう人もいます。先住民族が深い知恵を培ってきたことは確かなことですが、同時に人々は厳しい社会的制度や慣習も抱えている場合も多いのです。すなわち、身分や性別により話し合いに加われなかったり、入れなかったりする場所があるのです。ユニセフが女子割礼をやめることを呼びかけていますが、多くの地域でまだまだ続けられているのも、一つの例でしょう。ところが、思い込みの激しい人々が実際に先住民族の村を訪れてみると、「文明にすでに冒されている」とがっかりするか、自らの価値観とあまりに違う壁にぶつかり、反発を感じてさっさと背を向けてしまうようです。

ナチュラリストで写真家の安田守さんからうかがったお話では、カナダ・イヌイットは、水洗トイレを使い、冬の間、冷蔵庫には凍らしておきたくない物を入れ、 GPS付きの携帯電話で位置を確かめながら氷原を犬ソリで駆けているそうです。台湾原住民族の場合、テレビのない家はまずありませんし、一人当たりの空間を大きく取りたいようで、コンクリ建ての広くて天井の高い家に住んでいます。私などは言葉ができない間、山に住むおばあさんを訪ねるたび、ハリウッド映画ばかり放送する香港のスターチャンネルを観ながら、日記を書いていました。その当時、日本では衛星放送がそう普及してなかったので、夜は映画三昧で過ごせて嬉しかったことを覚えています。もちろん、民族衣装をふだんから着ている人はいません。着ているのは、ポロシャツやTシャツ、ブラウスにズボンやスカートです。伝統的な衣装を着るのは、お祭や結婚式などの時、政府主催の行事に参加する際(これが誤解の元かも)などです。食べているものも、朝は甘いミルクティーや豆乳に饅頭やサンドイッチ、昼は簡単な麺類、夜は肉料理にご飯にスープと、平地の漢民族とほとんど変わりがありません。  

おかしいって?でも、このあり方こそが、先住民族と私たちが共に現代に生きる仲間であることを示しています。先住民族にだけ、伝統的な生活様式を守ることを期待するのは身勝手です。日本人である私たちは、明治維新後にちょんまげを捨て、お歯黒を捨て、積極的に西洋化を図りました。成人式や卒業式、結婚式、公式なパーティーなどにきばって着るだけになった民族衣装の着物は、洋服に対比されて和服と呼びなおされています。便利だと思うものをどんどん取り入れていった結果が、今の私たちの生活です。生活も意識もだいぶ変わってきているのに、私たちは自分自身を相変わらず日本人だと見なしている。先住民族が先住民族であると胸をはる理由の一つも同じことなのです。もう一言つけくわえれば、どんなに頑なに伝統を守っているように見えるグループでも、学歴社会や流通、貨幣経済、言語など、押し寄せてくる「現代」と切り結んでいます。矛盾を抱えていることもしばしばです。そのなかで先住民族がいかに「自分たちであろう」としているのかは、立ち止まって少し眼をこらすだけで見えてくるのです。

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※1 台湾では先住民、先住民族という言葉は好まれません。北京語の語感では、「先に逝ってしまった人」「失われた人」という意味となるからです。現在の日本では避けられる言葉になってしまいましたが、台湾においては原住民という言葉が用いられる場合、「元々そこに住んでいた人々」という意味です。台湾では、原住民族というエスニック概念も政府に認めさせ、現在では、アミ、タイヤル、ブヌン、パイワン、ルカイ、プユマ、ヤミ、サイシャット、ツォウ、サオ、クヴァラン、タロコがこれまでに原住民族として政府に認定されています。

※2 台湾で一番人口が多い原住民族がアミで、およそ半世紀前まで台湾東部を中心に生活していました。現在は故郷を離れて、都市に働く人々が増えています。

※3 ブルース・リーの名セリフ。カンフーマスターにはやはり必要な心構えでしょう。

※4 山下晋司・船曳建夫編2002『文化人類学キーワード』有斐閣 p.202

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