僕の信じる全ての事【第8回】 - 雑貨店Noichi(ノイチ)の運営 | 有限会社溝上企画

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僕の信じる全ての事【第8回】

1976年1月24日生まれ(27歳)タイ名:SURASIT DONJAIPRAIWAN (強力な人生という意味)カレン名:Eapoe Lor-ea(甘い花という意味)タイ最高峰に位置するドイインタノン(国立公園)山中のBaan Phamon村出身。生まれ故郷の自然を愛し、自然の力を信じ、自作の歌をギターと共に歌うのが好きな森の哲学者と言われる少数山岳民族カレン族の青年。大好物:殻付きピーナッツ。

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竹の様に育て

人間はさまざまな形で生まれて来る。ある人は健康であったり、ある人は体が弱わかったり、 自然は私達をその様に作っていく。人間は女性と男性に別れており、動物は雌とオスとに別れている。この2種の性はそれぞれに違う義務を持ち。そして命の中でとても大切なのは例えばこの地球が変わりつつあっても女性の力は男性より小さい。しかし女性には男性に無い特別な能力があるという事を知る事。

ぼくらカレン族の同じ村の年配人はそれぞれ子や孫へ教える。読む事、書く事を教え、そして自然の原理を解らせる。子供達が話す事と知る事を比べる、見る。年配人らは子供たちに成熟したまっすぐな竹の様に育てと言う。

なぜならば竹は力強く育ち、いくらひっぱったりしなったりしても折れないし、たとえ大きくしなっても、必ず元いた場所に戻り、倒れない。それは強い風や台風が来ても同じ事で、竹は倒れずに相変わらずに元の位置に聳え立っている。これが成熟した竹である。

竹の子は土から出るとにょきにょきと元気に育ち、時には年老いた竹の高さをも抜いていく。そして竹は自分で陽の光を浴び大きくなってゆく

しかし最後には竹も最後には人間と同じ様に曲がってしなり、折れる。 年をとれば弱ってゆくのもまた人間と同じである。

竹はどんなに強い風が吹いても戻り、結局は元の通りまっすぐ力強く立っている。個の様なさまはカレン族の教訓であり、人間の人生の中でも何があってもくじけず、倒れずに生きてゆけという叱咤でもあるのだ。

カレン族の年配人がどうして竹を人間の人生に例えるかというと、竹は強いからである。何があっても力強く立っているからである。

全ての人間はそれぞれに人生を歩んでゆくがどんなに色々な事があっても、色々に人生が違っても最後は結局は皆同じ場所へ行くのであるから・・・

人間は皆それぞれの人生を過ごしていくけれど死ぬときは同じ地に戻り同じ地に行き着くという事、だから私達人間もどんな事があろうとも最後が同じなら、くじけずに最後まで歩けという事をカレン族の年配人らは教えてくれる。

そして僕もそんな言葉を信じる一人のカレン族なのである。

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